大沢バイブルチャーチ

パウロの回心

2017.04.02 週報 No17-14

今週のみことば

すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
使徒9章11節<新改訳>

本日関根牧師は福音伝道教団の聖会に奉仕中です。
本日の日曜礼拝は晴美伝道師が御用をします。お祈りください。
明日の月曜礼拝は牧師の奉仕です。

4月から新年度になります。

4月を迎えました

桜の花咲く4月、入学・進学の4月を迎えました。
今日は関根牧師は教団の伊香保温泉で開かれる聖会奉仕の為に参加、日曜礼拝は晴美姉が行います。

3年前に大腸がんの手術をして以来、風邪もひかず、礼拝を休んだことはありませんでしたが、これからは、月一度くらいは、関根牧師でなく、信徒教師の畠山兄や晴美伝道師に礼拝をお願いしようと思っております。

教会員の皆様、どうぞ、礼拝等の御用をしてくださる方の為にお祈りと応援をよろしくお願いいたします。

今年は、マルチン・ルターの宗教改革から500年目の節目の年です。ルターの大きな目標は「万人祭司」でした。
すべてのクリスチャンが、神様を知らない人々と神様との間に立って「祭司」の務めを果たすことでした。

「あなたは神の祭司です」この自覚を日本のすべてのクリスチャンがしっかりと持って、宣教の働き・教会の活動をしていくことが必要です。神様はそれぞれに賜物を与えてくださっています。それぞれの賜物に従って、教会の働きを進めていきましょう。

そして、あなたがなすべき働きの場を自覚し奉仕してください。

私は強がり?なのか、最近まで歳を聞かれると、「まだ83歳です。まだ85歳です」とよく言ってました。

米寿を過ぎてから、「まだ?」ではなく「もう88歳です」と自分では意識なしに変わってきました。

「まだ」と「もう」の違いを意識するようになりましたのは、やはり自分の年齢を自覚したことでしょうか?

しかし、礼拝を迎えるたびに、新鮮な気持ちで、主を賛美し礼拝を捧げることに、若い時よりも大きな喜びを持っています。

主にあって上手に年を取りたいと思っています。

人間はどんなに丈夫な人でも「生きている」のではなく「生かされている」のだ、と実感しながら朝を迎えています。

那須の雪山で10代の若者を含めて8人も命を落としたニュースを聞きながら「命の尊さ」「生かされている神の恵み」を心の奥に感じた一週間でした。

礼拝への招き

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
ヨハネ14章16節<新改訳>

祝福の祈り

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記6章24-26節<新改訳>



1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
2 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
6 立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
9 彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。
10 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
11 すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
12 彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
13 しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
14 彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
15 しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。
使徒9章1-15節<新改訳>