日光市のキリスト教会 大沢バイブルチャーチ

復活の主イエス

2017.04.16 週報 No17-16

今週のみことば

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
ヨハネ11章25節<新改訳>

今週は、イエス様の復活を記念するイースターです。

M・A・バーネット宣教師 Pert.2

ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。
使徒13章36節<新改訳>
「彼女は神のみこころに従って、彼女の時代に奉仕し、そしてまぶたを閉じた」

あの時代は大変だったとか、この時代は良かったとか、いろいろと詮索するが、現代の私たちも、今この時代に「神のみこころに従って、奉仕する」責任があり、使命がある。

「あんなところに日本人が?」というテレビ番組があるが、100年前の日本に英国の身分の高い国教会の牧師の一人娘が、福音のために来られたのである。「あんなところに英国の貴婦人が?」という感じである。

その神のみこころの中に日本に遣わされた一人のそのルーツを訪ね、100年前の交通事情等を考えると日本から遥かに遠い先生のお国の英国は地球の裏側であり、渡航するのは何日も?いや何か月もかかった船の旅であった。

しかも、その後、戦争がはじまると「米英撃滅。鬼畜米英」等と現代ではとても考えられない物騒な言葉が標語となって街角に貼られてあった時代であった。少年時代に私などはその貼られてあったポスターを見た記憶が鮮明に残っている。

しかし「神のみこころに従って、この時代に主に仕えた」

尾島教会の牧師時代(1961年頃)塩浦万平老兄がよく教会に来られて、戦争中の話をしてくださった。
ある日、バーネット先生が国策により草津のほうに軟禁される知らせを受けて、バーネット先生を見送りに行かれた時の話をしてくださった。

警察の車(トラック)が来てバーネット先生をトラックの上に乗せた。先生との辛い別れ、集まった信徒の方々が涙を流しながら別れを惜しんでいた時、それを見ていた一人の警官が、冷たい目つきで舌打ちをしながら、「こんな連中がいるからなかなか戦争が終わらないんだ」と叫んだ。何とも悲しい時代であった。

戦争を知らない現在の人には想像もつかない苦労があったであろうバーネット師は、ただただイエス様を見上げながらこの福音の為に、異教の国日本に来られた。

その警官の為にも、祭司の務めを果たすために、祈りつつ戦時中も日本にとどまり、その時代に主に仕えたのである。

今は、良い時代であるが、福音を伝えるのにやはり勇気が要る。自分の力では、なしえない。だから聖霊が与えられているのだ。

礼拝への招き

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
ヨハネ14章16節<新改訳>

祝福の祈り

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記6章24-26節<新改訳>



13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
19 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。
20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。
30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。
ルカ24章13-32節<新改訳>