日光市のキリスト教会 大沢バイブルチャーチ

かすかな神の声

2017.11.05 週報 No17-45

今週のみことば

神は我らの避けどころ、また力、
苦しむとき、そこにある助け
詩篇46章1節<新改訳>

本日、関根牧師は56年前から5年間奉仕していた尾島キリスト教会の献堂20周年記念礼拝に奉仕しております。
大沢チャーチの礼拝は畠山憲夫兄が奉仕してくださいます。
聖餐式は次週12日礼拝で行います。

明日の月曜礼拝は関根牧師が奉仕します。
12(日)幼児祝福式:19(日)召天者記念礼拝を行います。

神様の声を聞く耳を持つ

文語訳の聖書に、とても響きのよいみことばがあった。
「汝ら静まりて、われの神たるをしれ、我は諸々の国のうちに崇められ,全地に崇めらるべし」 詩編46:10

口語訳聖書は
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」

新改訳聖書は
「やめよ。わたしこそ、神であることをしれ」

「やめよ!」とは、静まって、手を離して、自分の努力・思いを捨てて・・と言う事なのでしょう。

長い人生には、様々な事で行き詰まる時がある。
もがいても、努力しても、万策尽きる時がある。
その時こそ、真剣に生ける神を呼び求むる時である。
聖書のなかの偉大な信仰の勇者達も、時々そんな経験をしているのは、現代に生きる私たちのためであるのだろう。

弱い人間が、どんなに頑張っても、自分の意思・努力・力を振り絞っても、どうにもならない時があるものだ。
そこが、神様の出番?の時なのだ。

クリスチャン生活の秘訣は、自分の力・経験・思い、に頼る事をやめて、神様の方法・力・思い・に頼ることである。

それは「あなたの内におられる聖霊様に頼る」クリスチャン・ライフである。

それが祈りであり、神様の前に静まって、神様の御声を聞く大事な時なのである。
自分免許の熱心、自分勝手な信仰、それが時々、サタンの思うつぼにはまることがある。

聖書にある偉大な予言者達も、時には失敗をしたり、サタンにやられたり、神の声から遠ざかったりして,行き詰まった。
そんな、古代の人々の体験を,昔話しでなく、神の民として今の時代に生きている私たちの見本であり手本としよう。

礼拝への招き

私はいと高き方、神に呼ばわります。
私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。
詩篇57章2節<新改訳>

祝福の祈り

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記6章24-26節<新改訳>



1 ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に入った。 2 彼は、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。 3 彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っておられます。『きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。 4 おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。』」 5 ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、 6 イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。 主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしを冒瀆したあのことばを恐れるな。 7 今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」
イザヤ37章1-7節<新改訳>