日光市のキリスト教会 大沢バイブルチャーチ

霊の目を見開いて

2017.11.26 週報 No17-48

今週のみことば

信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。
ヘブル11章27節<新改訳>

光陰矢の如し!11月最後の礼拝です。先週クリスマスの飾り付けを準備しました。心静かに主を待ち望みましょう。

大沢バイブルチャーチ のクリスマスは12月24日に、クリスマス礼拝・祝会を予定してます。

次週クリスマス案内状を配布します。

天を見上げて生きる

彼は死にましたが、信仰により今も尚語っています。
ヘブル書11章4節<新改訳>
ヘブル書11章は信仰の勇士達の列伝です。
彼らの生き生きとした信仰に見習って現代の私たちが歩むために記されているようです。

「目に見えない方を見ている如くに、生きた証です。

アブラハムにしろ,モーセにしろ、神に従う道は決して生やさしい事ではありませんでした。

アブラハムは「行くところを知らずして出て行きました。」

モーセ生涯の終わりは、申命記31章-34章に細かく記されています。

20年前聖地旅行でモーセ最後の地・ネボ山に行きました。
そこにはモーセ記念教会がありました。
此処が偉大なリーダー・モーセの最期の地・感無量でした。

モーセはエジプトの王女様に拾われて王宮の生活をしてましたが、40歳の頃にエジプトの地から、遠いミデアンに逃れ、羊飼いの働きをしてました。

しかし、燃える芝の中から、主なる神の声に従いイスラエルの民を念願の約束の地に導く働き(出エジプト)をして、やっと念願のイスラエルの地・約束の地・ヨルダン川が見え死海が見えるネボ山までたどり着きました。

約束の地への旅40年です。

しかし、神様はモーセの働きをストップしました。
その記念教会の前の方に、蛇が巻き付いている大きな十字架がありました。
そこからは、モーセが夢にまで見たであろうヨルダン川と死海がはるかに見えます。
この山を下ればあと1歩・・と言うところでモーセの生涯は終わりました。

私はその十字架のところでお祈りしながら、「神様!何故でしょうか?」モーセはどんない無念だっか?と思いました。

長い人生の旅路のなかには、人に理解されなかったこと・また、人を理解してあげなかったこと・苦労したことが水の泡の如くになってしまったこと等々・沢山あったでしょう。

しかし、ヘブル書の記者は信仰の勇士達の生涯を次々と書き加えて「彼らは見えない方を見ている如くにして忍び通された」と教えています。

礼拝への招き

主とその御力を尋ね求めよ
絶えず御顔をしたい求めよ
詩篇105章1-4節<新改訳>

祝福の祈り

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記6章24-26節<新改訳>