日光市のキリスト教会 大沢バイブルチャーチ

罪人の友なるイエス

2018.04.22 週報 No28-17

今週のみことば

わたしは正しい人を招くためではなく、
罪人を招くために来たのです。
マタイ9章13節

「洗礼式」

*洗礼とは何ですか。・イエス様の命令です。

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28章18-20節)

・私は1951年5月20日に埼玉県小川町に流れている槻川という川で洗礼を受けました。・以来、67年の年月が過ぎました。その間、いろいろな事がありました。しかし私の信仰生活の起点はそこにあったことを、時々思い起こしております。

・その時の私は、洗礼を受けるために、自分で何かを行ったり能力を発揮したり、無理して頑張ったり、する必要がありませんでした。
・あるがままの自分で、私は神様に受け入れていただきました
・イエス様が私のために十字架で死んでくださり、私の罪を帳消しにして、神様との関係を完全に修復してくださったからです。
・私が洗礼を受けた時にそうだったのですから、今でもそれは同じです。このことを、洗礼式は私に思い起こさせてくれるのです。
・ありのままの自分で、私は神様の家族の一員とされて、天の御国への旅を続けています。
・このことを思うとき、私は気分が楽になり、神様に感謝する心が生まれます。
「私たちが救われるのは恵みによるものである」、と聖書は教えています。
恵みによる救いとは、自分の行いには。関係なく神様の家族の一員に加えられ、ありのままの自分として永遠の命に預かることです。
・どうぞ、受洗希望される方は、牧師に申し出て洗礼準備会をし、主イエスが命じられた洗礼を受けるようにおすすめします。

礼拝への招き

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
詩篇1章3節

祝福の祈り

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記6章24-26節<新改訳>