苦楽の共有者

2019.06.23 週報 No.2019-26

今週のみことば

しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。
第一ペテロ4章16節

楽しみだけを共にした友人よりも、苦難を共にした友人の方が強い絆で結ばれるようです。
使徒パウロは、ピリピ2:25で
「しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。」
と書いています。
困難な伝道をしておりましたパウロを、命がけで助け励まし、福音宣教の働きのために、共に汗をかき、共に戦い、共に苦労を分け合った「エパフロデト」は、正にパウロの「戦友であり同労者であり、真の兄弟以上の兄弟」でありました。

教会でクリスチャン同士を呼び合うときに、世界中の教会が、「主にあって兄弟であり姉妹である」と呼び合う習慣があります。
とても良い習慣だと思います。ただし、それが単に習慣だけで呼び合うのなら、意味がありません。
兄弟・姉妹と呼び合う習慣は、クリスチャンになったとき、クリスチャンで無い方々に理解していただけないことが多くありますが、それを理解し合うことができる仲間であり、根本的にはイエス様の十字架による贖いにより神様の子供とされたお互いだからです。
単なる習慣で呼び合うのでは無いのです。

・今日の礼拝説教・・・ペテロ第一4章12-19節

「苦楽の共有者」
1 あなたに起こる「信仰の試練」とは?
いつの時代でも・何処の国のクリスチャンでも、「試練」の時があるようです。
これは世界中のクリスチャンが何らかの形で経験するようです。(なんで私ばかりが、なんで私がこんな苦労を?)と思わないように。4:12

2 キリスト者として受ける苦難がある。4:14-19
ペテロは確信を持って語っています。
キリストの苦しみに預かる光栄。
クリスチャンとして受ける苦難の尊さ。