失われた羊と銀貨

2019.3.24 週報 No.2019-13

今週のみことば

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。
ルカ15章10節

・ルカ15章は、聖書の中で一番多くの人に知られ、読まれている箇所だと思います。
・有名な「放蕩息子」のお話が中心ですが、その前に「失われた羊」「失われた銀貨」「失われた放蕩息子」「失われたお兄さん」と続いてます。
・とても意味深い、お話ですので、ゆっくりと礼拝で学びます。

・・・・今日の礼拝説教・・・ルカ15章1-10節
「失われた羊と銀貨」
・物を無くした経験は誰にもあります。いやなものです。ボールペン一本でも、何処に行ってしまったのだろう?といやな気分になります。
・それが命ある者を失ったら、なおさらです。
・価値あるものを失ったら、一生悔いが残りますね。

・東北の大震災で、奥さんと子供を失った50代の方が、潜水夫の資格を取って、8年過ぎた今も、時々海に潜って奥さんの遺体を探している事がテレビで報道され涙しながら拝聴しました。
・失う・・・・ということは、いろいろな意味があります。
・地位を失う・資格を失う・信用を失う。また・肉親を失う・とも表現しますね。

心が正常でなくなる時も・度を失うといいます。

だから、失うと言う沢山の出来事の多い人生にある私たちに
神さまは、ルカ15章を通して、「神さまが失った、とても大事なもの」を教えようとしていろいろな角度から、「神さまが失った大切な宝物」を教えようとしておられます。

・さあ、神さまが失った宝物発見の喜びの旅をご一緒しましょう。
・そして、
「なぜ失われれたのか?」・・羊・銀貨・放蕩息子・兄
「どうして見つけられたのか?」・探していた羊飼い・
「どなたが発見したのか?」・私と一緒に喜んでくれ・
「見つけられた時 どうなったのか?」
価値の再発見・回復の喜び・そして持ち主の喜び。