戦争は避けねば

2023.09.06 毎日新聞 戦後78年

聖書の「世界は火の海」核で現実に

日光の牧師 関根辰雄さん(下)

第二次世界大戦末期、海軍飛行予科練生となり、特攻の訓練を受けた日光市の牧師、関根辰雄さん(94)が終戦で郷里の埼玉県に戻って1年半後のこと。ある女性が家を訪ねてきて、満州に嫁いだ姉富美子さんの死を伝えた。話を聞いた母は「富美子が死んでしまった」と取り乱して泣いた。いたたまれなくなったのか、女性は黙ってその場を去った。

関根さんは姉1人と弟3人、妹2人の7人きょうだい。長女の富美子さんは21歳の時、「大陸の花嫁」として旧満州(現中国東北部)に渡り、満蒙開拓青少年義勇軍の青年と結婚した。当初、義勇軍の男性は徴兵されないと言われていたが、戦争の激化で招集されるように。富美子さんに第一子が生まれたのは、夫が出征した直後の1945年7月だった。
同年8月、広島に原爆が投下され、2日後に旧ソ連が突然、対日宣戦を布告。ソ連軍が満州に攻め入り、多数の日本人が犠牲になった。富美子さんも赤ん坊を抱え、着の身着のまま現在の中国・吉林省を目指して逃げた。夜になると目に付いた畑からナスやキュウリを盗んで食べるだけが食料だった。やがて栄養不足で母乳が出なくなり、赤ちゃんが亡くなった。富美子さんもほどなく餓死した。
訪ねてきた女性は、姉と一緒に逃げてきた人だった。遺骨もなく、死んだ場所も分からない。「満州になんて、行かなければよかった」。来る日も来る日も嘆く母の姿が、家族の悲しみを深めた。
心に影を落としたのは、それだけではなかった。関根さんは予科練で身につけた技能を生かし、当時は少なかった自動車の運転手となった。仕事で地元の学校に出向き、恩師に再会することもあったが、かつて軍国主義的な精神論を説いていた教師が酒びたりになり、人が変わったようにだらけている姿を目の当たりにした。
「『お国のために、天皇のために』とやってきたのはまやかしだった。いいかげんに生きた方が、いいんじゃないか」。荒廃した世情にも嫌気がさし、自暴自棄になった。自身も酒に溺れ、けんかに明け暮れた。
キリスト教との出合いは22歳。入院中に看護師から一冊の本を譲り受けた。カトリックの洗礼を受け、若くして亡くなった長崎の医師、永井隆の「この子を残して」。それまでまったくキリスト教を知らなかったが、教会に足を運び、聖書を読み進めた。キリストが十字架にかけられた場面でわけもなく涙があふれた。「不真面目だった私がね、涙を流していたんだよ」
27歳で神学校に入り、3年後、牧師になった。旧足尾町や旧今市市などの教会を経て、71歳の時に日光市猪倉に「大沢バイブルチャーチ」を開いた。90歳を過ぎた今もここで聖書の教えを説きながら「時代の証人として、私たちは戦争を語る必要がある」と、平和の尊さも伝えている。
ロシアのウクライナ侵攻を巡り、核兵器が使用されるのではないかと懸念される中、関根さんは言う。「聖書に『世界が火の海になる』という言葉がある。世界を火の海にするなんて、昔は人間の力ではできなかった。今は原爆を投下し合ったら本当にそうなってしまう。かつての戦争と、これからの戦争は違う。絶対に戦争は避けなければいけない。